人並みの共感力と道徳心を持つ人間からすれば、なぜサイコパスのような人間が生まれてくるのか、進化の過程で淘汰されずに生き残ってきたのか不思議に思うかもしれない。

中野信子氏の著書サイコパスではこのような仮説が述べられている。食糧が豊富な環境では、それほど子供に対する養育にコストをかけなくても子供は育っていく。パートナーや子供に対する愛情や責任感が薄いサイコパスも、あまり反社会的とはみなされない。むしろ複数の異性と交わり、他人を陥れることを厭わない好戦的な性格の方が子孫を残し繁殖できる。という仮説である。

実際に現存する先住民族にもそのような傾向が見られるらしい。アマゾンのムンドゥルク族の大人たちは乳離れした子供の世話をほとんどしないという。それでも子供は自立していけるのは、食料、その他の資源が豊富な環境だからだという。また彼らの社会は競争的であるという。

ブラジルからベネズエラにある食料環境の良い地域に住むヤノマミ族にも同様の傾向があるという。好戦的な民族で殺人をすることで集団内の地位が上がるらしい。また複数の異性と子供を作ることも当たり前で、生まれた子供を育てるか殺すかは母親の判断に委ねられ誰も介入しないという。(ネットで調べると村長のような存在が生かすか殺すか決めるという話もある)そして殺すと決めた場合、赤ん坊を蟻塚に放置しシロアリに食べさせてしまうらしい。

逆に南アフリカの食料環境に乏しい地域に住むクン族は、協力しないと生きていけないため協調的な民族だという。共同で狩りに行き成果は平等に分けられ、一夫一婦制で子供の面倒は一族で面倒を見るという。

しかし、私はこの食料環境とひもづける説にあまりしっくりこない。サイコパスも多様であり、利己的ではあるが自己の利益のためにではあるが協調性や勤勉さを持ち合わせている者もいる。また、食料環境が厳しい中で自己中心的な人間が生き延びることもあるだろう。

そこで日本の江戸時代の環境や私の祖先のことも含めて考えてみたい。

>>つづく

しかし改めて不思議なのは、私も父親ほどでないにせよ、共感力が低いにもかかわらず、なぜ呪術的思考が残らなかったのだろうか。それどころか呪術的思考に強い嫌悪感を持つまでになっている。妹も呪術的思考があるし、私が彼らとここまで対極になってしまったのはなぜだろうか。

まず考えられるのは母型の遺伝である。母親は両親が貧しかったため中学の頃に遠方に住んでいた義理の姉に預けられた。この遠方の地が私が生まれた地である。そして今も同じ県内で私と母親は暮らしている。義理の姉の墓も近くにあり、母親の両親(私の祖父母)の遺骨も収められている。義理の姉は自分が亡くなる前に自分の墓を用意し、彼らの遺骨もわざわざ遠方から持ってきたらしい。

しかしこれは改めて考えると不可解な話なのだ。なぜなら私の母親には兄と姉がおり、彼らは両親が亡くなった時も彼らの近くに住んでいたらしい。なら彼らが自分の親の墓を建てるのが常識ではないか。母親にその理由を聞いても明確な答えは得られない。貧乏だからそんな事を考える暇はなかったのではないかというのだ。しかしいくらなんでも自分の親の遺骨を血縁者でない遠方の人間に渡すだろうか?

母親に話を聞く限りの推測であるが、どうも母親の兄と姉も母親同様に刹那的な人間のようなのだ。姉は60歳という若さで亡くなっている。私も死の直前に会ったが、寝たきりでほとんど口が聞けず、もっと高齢に見えた。母親いわくお酒の飲みすぎだろうということだ。兄にいたっては蒸発し生きているかどうかもわからない。こういう面を知っていた義理の姉が、彼らではきちんと墓守はできないと判断したのではないか。

そもそも母親の祖父母の墓はどうなっていたのだろう。ネットで検索すると出てくる話だが、もともと墓を建てる習慣があったのは武家階級の者くらいで、庶民も墓を建てるようになったのは江戸時代後期からで、一般的になったのは昭和30年くらいかららしい。

母親に聞いても祖父や祖母の墓参りの記憶はなく、もともと墓自体なかったのではないだろうか。よって墓守の習慣がない母親の兄弟は、自分の親の墓を建てることに無頓着だったのかもしれない。私の信心の無さはこのような母型の遺伝的影響ではないだろうか。

とはいえ、私の感覚からしても親の墓を建てないのはありえないことだが。信心のかけらもない私ですら母親が亡くなったら墓は建てるつもりだし、その際に義理の姉や母親の両親の遺骨も一緒にいれるつもりだ。あの世や魂の存在を信じなくとも、母親を弔う場はあるべきだと思うし、母親の面倒を見て私のこともかわいがっていた義理の姉の遺骨も一緒に入れてあげたいと思うのだ。

私の信心のなさに話を戻すと、母親も信心は厚くないが困った時の神頼みくらいはする。しかし私は信心がないにとどまらず、それを強く嫌悪するようにまでになった。きっかけは父親が信仰する祈祷師のお告げで私の進路に口出ししたことで、そこで一気に針が振り切れ宗教的なもの全般に強い嫌悪感を抱くようになった。なぜ、そこまでの嫌悪感が湧いたのだろう。

これも脳の覚醒レベルが低い状態から、不快な感情や怒りで覚醒しようとするADDやサイコパスの形質と関係しているのかもしれない。それまでも父親や親族のバチが当たる、狐が憑いたなどの呪術的思考に不快な印象を抱いていたが、それを私の人生に適用しようとしたことで脳に着火し、脳は自身を覚醒させるための燃料として、宗教的なもの、呪術的思考を常時嫌悪する選択をしたのかもしれない。私の意識とは関係なく。

つまり不快さや怒りを脳の覚醒燃料とすることは父親から遺伝したが信心深さについては遺伝せず、母型の信心の無さの方が遺伝したことによって、偶然このような呪術的思考を嫌悪する人格が形成されたということかもしれない。

また「平気でうそをつく人たち」で紹介されている強迫観念症にとらわれた男の悪魔契約の思考は私と似ているような気もする。彼は悪魔の存在を信じていないと言いながら、頭の中で悪魔と疑似契約し、自分と子供の魂と引き換えに強迫観念症を克服しようとした。

私も先祖の呪いなど信じていないが、私の遺伝的欠陥は先祖の呪いで、その呪いに勝たなければならないと思い込むことで欠陥を克服しようとした。もしかするとこれは私の歪んだ呪術的思考なのかもしれない。信心の無さによって呪術的思考が先祖の呪いを呪うといった形で現れたのかもしれない。

>>つづく

私が共感力の低さと呪術的思考は相関しているという確信を強めることになったのは、別のサイコパスの本「良心を持たない人たち」の中にある道徳実験の話である。アメリカの心理学者が1960年代に、ハインツのジレンマという話を用いて、子供たちの道徳的成長を記録したらしい。

良心をもたない人たち (草思社文庫)
マーサ スタウト
草思社
2012-10-04


ハインツのジレンマについて簡単に説明すると、このようなものである。
  • ハインツの妻はがんで死にかけていた
  • そのがんを救う唯一の薬を同じ街に住む薬剤師が開発していた
  • その薬剤師は調合にかかった費用の10倍の値段で薬を売っていた
  • ハインツは知り合いに頼んでお金を集めたが、その薬を買う金額を集められなかった
  • ハインツは薬剤師に薬を安くしてくれないか、後払いにしてくれないかと頼んだ
  • しかし薬剤師はこの薬で一儲けするつもりだからと拒んだ
  • ハインツは妻を助けたいから、薬剤師の店に押し入って薬を盗んだ
そしてハインツがしたことは正しいか?という問いを異なる年齢の子供にして反応の違いを調べたのだ。

すると7〜10歳くらいの子供の典型的回答は「ハインツはそんなことをすべきではありませんでした。しかられるからです」だったという。これはこの年頃の子供は、まだ登場人物の関係が理解できず、親からのしつけに習い「盗みは怒られるような悪いこと」という理解にとどまっているからだろう。ただしこれは1960年代の子供の話で、現在の子供はこの年頃でももっと多様な答えをだすように思える。

いずれにせよ、人は成長するに従って、この話について道徳的考察が入るようになる。登場人物の相関関係を理解し、薬剤師は人助けより私腹を肥そうとしていること、ハインツは愛する妻を助けたい一心で盗みを働いたこと、それらを考慮してハインツが正しかったかどうかを判断する。

ハインツに同情しこの罪は許されるべきだと思うかもしれないし、やはり社会秩序のために盗みはよくない、薬剤師を法的に訴えることもできたのではないかなど、人によって意見が分かれるようになる。だがどんな答えを出すにしても、大人ならほとんどはハインツが全面的に悪いとは考えないだろうし、まして「しかられるから」いけないことだとは答えないだろう。

単に怒られるから盗みはだめだという段階から、道徳的考察ができるようになるための重要な要素は共感力であろう。人は成長するごとに家庭外の環境から刺激を受けるようになる。社会での他者との関わり合いから共感を通じて道徳を身につける。

この実験で7〜10歳の子供は、盗みを働いてはいけないのは罰を受けるからという理解にとどまっており、盗みと受けるべき罰について論理的な回答はできない。論理的な回答をしようとするなら間に道徳的考察が入るはずだ。

この論理的な関連性を見出さずに原因と結果をひもづける思考は、呪術的思考と似たようなものである。ルールや儀式に従わないと罰を受けると信じることは呪術的思考によくあることだ。また幼児に「なぜ人のものを盗んだらいけないの?」と聞かれたとき、「神様が罰を与え良くないことが起きるからだよ」のように幼児の呪術的思考を利用してしつけを行うこともよくあるだろう。

成長とともに呪術的思考が薄れてもほとんどの人は盗みを働かない。それは罰を受けるからではなく道徳心からだ。つまり呪術的思考は道徳的思考に上書きされる形で薄れていくものではないか。逆に共感力が低いと道徳心が身につきにくく呪術的思考が上書きされにくいのではないか。

またこれまで述べてきたように共感力の低さ(サイコパス傾向)が遺伝的なものなら、大人になってから呪術的思考を引きずるのも遺伝的なものとなるだろう。そしてサイコパスが呪術的思考による信心深さを持つことも不思議ではなくなる。

私の父親は周囲の人々が子供の人生を含めて人生設計しているにもかかわらずそうせず、無年金、持ち家なしで老後を迎え税金も滞納していた。にもかかわらず、几帳面に部屋の整理整頓、神棚の手入れをし先祖の墓参りに欠かさず行く。この矛盾行動の原因は、父親の共感力が極めて低く周囲の人間と同じように道徳心を身に着けられず、呪術的思考が強く残ったからだ。

また部屋は放って置くと自然と散らかり汚れていくものだ。ADD、サイコパス傾向があると脳の覚醒レベルが低くなりがちなので、不快な感情を燃料に覚醒レベルを上げる傾向がある。何もしないと汚れていく部屋は日常的に燃料を得られる格好の材料なのだ。

だから父親は道徳心が低くとも掃除や整理整頓を几帳面にやるし、むしろ道徳よりも優先する。また整理整頓はしきたりや儀式行為ともひもづきやすい。だから道徳心が低いにも関わらず神棚の供え物や墓参りも欠かさずに行う。

平気でうそをつく人たちの著者が言う子供時代に親から正しい扱いを受けないと呪術的思考が残るという見解よりも、こう考える方が私は腑に落ちるのだ。

>>つづく

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