ADDと同様にサイコパスも遺伝的影響が大きいと言われる。私の親族を見ていてもそれは実感できる。親族と私のADD、サイコパス傾向について説明する前に遺伝子の影響について説明しておきたい。

日本人の9割が知らない遺伝の真実 (SB新書)
安藤 寿康
SBクリエイティブ
2016-12-06


人の性格や才能は、遺伝と環境どちらのほうが影響として大きいかは「日本人の9割が知らない遺伝の真実」という本の中に挙げられている双生児法の話がわかりやすい。一卵性双生児は同じ遺伝子をもって生まれくる。対して二卵性双生児は双子でない兄弟と同じように両親から引き継ぐ遺伝子にばらつきが出る。一卵性双生児と二卵性双生児の兄弟間の類似性を比較し、遺伝と環境の影響を観察するのが双生児法である。本書では国内で総数1万組の双生児比較からの研究結果をまとめている。

さまざまな項目の類似率が挙げられているが、指紋、体重、身長など身体的特徴は一卵性双生児90%以上の類似性があるのに対して、二卵性双生児は50%以下。神経質、外向性、開拓性といった性格は、一卵性双生児40〜50%、二卵性双生児15%〜25%程度。同調性、勤勉性は一卵性双生児40〜50%程度、二卵性双生児は10%そこそこ。

児童期、青年期のIQは一卵性双生児70%以上、二卵性双生児50%前後。成人期初期のIQは、一卵性双生児80%と類似性がやや高くなり、二卵性双生児は50%台と青年期からあまり変わらない。国語、算数、理科の成績は、一卵性双生児70%台、二卵性双生児50%台。音楽に至っては一卵性双生児90%以上、二卵性双生児50%近く。美術は一卵性双生児でも60%程度、しかし二卵性双生児はたった5%程度。

これらが示すのは一卵性双生児でも100%の類似性はなく、遺伝子以外、つまり環境の影響差があること、また遺伝の影響が強い分野と弱い分野があることだ。しかしそれでもどの項目も二卵性双生児より一卵性双生児の方が高い類似性を示しており、遺伝の影響の強さを感じる。

またADHDの項目では、一卵性双生児は80%も類似し強い遺伝の影響を示している。二卵性双生児は40%近くで、双子でない兄弟間でもADHDを抱える確率は40%くらいになるだろう。多動性のないADDも含めるとさらに確率は上がりそうだ。1/2近い確率でADD/ADHD傾向が遺伝するとしたら、それなりに高い割合だ。ADD/ADHDとサイコパス傾向に関連性があることから、親族間でサイコパス傾向を持つ確率もそれなりに高いと推測できる。

IQが青年期から成人初期に移ると、一卵性双生児は類似性が高くなるのも興味深い。この本では収入と遺伝子、共有環境(家族を類似させる効果を持った環境)の影響割合も述べている。男性の場合、20歳頃は遺伝子20%、共有環境70%程度だが、年齢が上がるにつれて共有環境の影響は小さくなり、45歳くらいでは遺伝子50%、共有環境の影響はほぼゼロになるという。(女性の収入が遺伝の影響を受けないのは雇用環境などの問題のようである)

つまり男性の収入は遺伝子および共有環境以外の環境の影響が大きいということである。内在していた遺伝的資質が社会環境から受ける刺激によって表面化すると捉えることもできる。収入は仕事熱心かどうかだけでなく、好き嫌いによる職業選択の影響もあるだろう。生き別れた一卵性双生児が大人になって再開したら、趣味や職業も同じだったという話もある。こういう話を目にすると、自分の行動のうちどれが自分の意思によるもので、どれが遺伝的なプログラムに従っているだけなのかわからなくなってくる。

私はサイコパス傾向があると自覚しているが、それは今まで書いたように集中力や共感力の低さというADDの欠陥を克服し、社会適合しようとする過程で身につけたものである。そしてやはりADD/ADHD傾向があるサイコパスは多いらしい。

わかっているのにできない脳では、ADDは脳の活動のレベルが低く、それを補うために怒りや不安の感情で活動のレベルを上げる傾向がある事が書かれているが、サイコパスの本にも似たようなことが書かれている。

サイコパス (文春新書)
中野 信子
文藝春秋
2016-11-18


中野信子著のサイコパスによると、サイコパスは心拍数が低い傾向にあるという。そして心拍数が低く上がりにくい傾向がある人は反社会的行動を取りやすいらしい。人は道徳に反することをすると心拍数が上がり不安を感じる。そして行動を抑制するか反省する。しかし、心拍数が低いとそのような不安を感じにくくブレーキが効かずに反社会的行動を取りやすくなるという。

また心拍数が低いと生理的な不快さを感じやすいらしい。そのため心拍数を最適なレベルに上げようと強い刺激を求めるようになる。心拍数が低いということは脳の覚醒レベルが低い状態でもあり、シャキッとしない不快さを感じる。そしてその不快さから抜けるために脳を覚醒させようと刺激的な行動に走るという。これは怒りや不安によって脳の活動レベルを上げようとするADDの傾向と一致する話だ。

こういった話を読むと、私はサイコパス傾向を持つように宿命付けられていたように思えてくる。ADDがサイコパス化するのは社会適合する上で必要条件のようだからだ。もし私が怒りで集中力が増すことに気づかず、人の観察を続けることで共感力の低さをカバーすることを覚えなかったら、ADDの欠陥を抱えたまま落伍者となっていたかもしれない。

>>つづく

他人の能力を見抜くことにも長けているように思う。いろいろな会社と仕事する中で、私から見て明らかに能力がないと思う人間を、社長やリーダークラスの人が仕事を任せる場面に度々遭遇する。事前にあの人はやめたほうがいいと進言すると「いや仕事熱心だしそんなことはないよ」と返されることもある。そしてやっぱりできず問題になった時、なぜもっと早く能力がないと判断できないのかと私は呆れるのだ。どうも私は能力向上の執着と共に人を観察し続けた結果、人の能力のあるなしが人より早い段階でわかるようになったようだ。

こういう見切りは、私が共感力が低いがゆえに感情的なバイアスがかかりにくく、人柄や外見ではなく能力だけを見て判断できるからだと思っている。逆に他の人が仕事で敬遠する人間、例えば性格に難があったり集中力にムラがある人でも、能力はあり適度な距離を保つか適材適所で役に立つと判断したら一緒に仕事ができることもある。

文章を書くことも苦ではなくなった。昔は読書も感想文を書くのも苦手だったが、今はそのようなことはない。自分がそうなっていることに20代後半頃に気がついたのだが、その時は私自身驚いた。特に作文の練習などをしたわけでもないのに、いつの間にか文章を書けるようになっていたからだ。理由ははっきりしないが、考えられるのはプログラミング言語の習得ではないかと思う。プログラミングも言語というだけあって日本語の言語能力向上にも役立ったのではないだろうか。

社会に出る前は、テストのように準備期間がある状態なら人並みの結果を出せるが、人の話を聞きその場で判断・実行しなければならない仕事は難しいだろうと思っていた。しかし、実際はたいして問題にはならなかった。会議の1週間前には何の議題で話し合うかは決まっているし、その間に準備しておけばいい。その場で判断が難しい事は持ち帰って検討させてくださいと言うこともできるからだ。

また独学でしか勉強できないことも欠点にはならなかった。仕事はテストのように決まっている答えを求めるのとは違う。はっきり答えがない問題に対して、自分で考えて答えを出さなければならない。同じ問題に取り組む相手よりも、自分の答えの方がより良いと説明できる材料を洗い出せるかも大事だ。これらは独学力が重要である。ずっと独学で勉強してきたことは、学校のテストで点を取ることにおいては回り道だったかもしれないが、自分で考える力は人より身についたと思う。

インターネットという時代環境にも助けられていると思う。Googleの検索エンジンが世に出たばかりの興奮を今も覚えている。検索キーワードを入力し検索ボタンを押すと、かなりの的中率で探したいページ出てきて、これはすごいと思ったのだ。それ以来、ふと頭に浮かぶ疑問を検索するようになった。当時はググるという言葉もなかったが、もともと独学するのが当たり前だった自分には、わからないことを検索することは早い段階で自然と習慣化し、それが独学力に拍車をかけた。検索エンジンも私の能力向上に大きく貢献したと思う。

記憶力がよくなく、1日に複数やることがあると時間管理がうまくできなくなったり、予定を忘れることも多かったが、今はスマートフォンを使ってうまく管理できている。予定の時間になれば通知してくれるし、自分の記憶に頼る必要はない。集中力が散漫で実力を十分発揮できないという不注意型ADDの欠陥はスマートフォンでカバーできているのだ。

高齢の母親の面倒も見る必要があり、介護が必要なほどではないが通院など割り込みの用事は、気ままに一人で暮らしていた時より増えた。しかし、それらもスマートフォンで管理しながらうまくこなし、仕事も並行してできている。もはや一人で暮らしていた時よりも、仕事以外でやることが多い今のほうが収入は上である。

社会で通用しないかもしれないと不安をいだいていたのは過去のことだ。今は自分の能力でほとんどの困難は乗り越えていけるという自信がある。しかも、その能力は独学でしか勉強できないとか、うまく感情を読み取れないとか、欠陥と思っていたことと表裏一体だったのだ。

>>つづく

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