父親、妹と私が最も異なる傾向が、信心深さのあるなしである。これまで述べてきたように私には信心深さが皆無といっていいほどにない。しかし父親と妹は信心深さのようなものがある。それも道徳とひもづかないような得体の知れないものである。

父親は度々神棚に手を合わせ、毎月1日、15日にしきたり通り神棚の米、塩を供えることを欠かさない。そして盆暮れ正月には必ず遠方の生まれ故郷まで先祖の墓参りに行く。無年金、無貯金、持ち家なしで老後を迎え、子供が家庭を築くことも含めた人生設計を行わないにもかかわらずである。

信心にまつわること以外でも父親は几帳面である。部屋の掃除や日用品の買い出しなどは几帳面に行い、それらをきちんとしないと家の中がぐちゃぐちゃになると言う。にもかかわらず税金は滞納し年金の支払いも確認せず、老後生活は破綻した。持ち前の几帳面さは子供の人生を含めた人生設計には発揮されなかった。

このような不可解な信心深さと几帳面さは妹にも見られる。母親が脳梗塞を起こして入院した時、最初はろくに口もきけずトイレも自力で行けずおむつをしている状態だった。私は担当医からリハビリでどこまで回復するかはわからないし、このまま介護が必要になる可能性もある。また脳梗塞は再発率が高い病気だという説明を受けた。

そして妹にその病状の説明をし、退院しても脳梗塞を再発して突然亡くなることもあるかもしれないと伝えた。すると妹はこう答えたのだ。
「人の寿命は決まってるんだって」
先程書いたように妹は最初に母親の姿を見た時、ショックを受けていたし母親がいつ死んでも良いとは思っていないはずだ。私もそれを知っているから、後悔しないように会えるうちに会った方が良いという意味も含めて母親の病状を伝えているのだ。しかし妹はそういったことは伝わらず、何の脈略もないような信心にまつわるような台詞が出てくるのだ。

またこのような時期に普段は話さない妹と食事に行き話をした。話の流れで妹は認知症の母親を抱える友人の話をし始めた。ペットの餌を食べるなどの症状もあり重度の認知症だ。そして、私も介護の母親を抱えるかもしれない状況で「一人で面倒見て大変だわ」とまるで他人事のように言うのだ。さらに私の家の風呂場が汚れていて、それが気になるという話もしていた。

妹が見舞いから帰ってしばらくして、一人で日々母親の見舞いをしている私へのねぎらいの話などすることもなく、神棚や仏壇の供え物がきちんとできているかとメッセージを送ってもきた。私に信心深さがない事を気にかけてであろうが。(ちなみに単身赴任中の父親も同じタイミングで神棚にお供えものをしなさいと命令口調でメッセージを送ってきた。)

こういうことから妹も私と同じく共感力が低く、兄である私に何ら感情を持っていないことがうかがえる。そのことに関してはお互い様だが、私が理解できないのは信心、掃除、整理整頓が、道徳より優先されることだ。

そもそも父親や妹が先祖を気にかける事も矛盾を感じる。まず妹は独身であり、年齢的にもう子供を作ることはないだろう。ということは、自分が死んだらいわゆる無縁仏になるわけで、誰も自分を祀る人はいない。いわば先祖からの血のつながりを断ち切る人間である。先祖が大事だと思うならなぜ結婚して子供産み、血のつながりを維持しようとしないのだろうか。ちなみに私も独身であり結婚願望はあまりないので、そこは共通するところだが。

妹はそれで誰に迷惑をかけるわけでもないが、父親に至っては老後生活を破綻させた挙げ句、育てた恩を盾に私にすべての面倒を見させようと考える人間だ。長男の私が結婚して家庭を築く機会を奪い、先祖からの命のつながりを断つような状況を作っておきながら、先祖が大事であるかのように考える。全く理解不能な狂った思考だ。

父型の兄弟も疎遠になっている者もいるし、自己観察からも親族に対する感情が希薄な傾向は遺伝的なものだと思う。もしそうなら、我々の先祖も同じように親族への感情が希薄な傾向があったと考えられる。そんな先祖が自分を見守ってくれるように考えるのもこっけいな話だ。

そもそも自身が親族に対する感情が希薄なら、先祖のことも軽視しそうなもので、道徳心が低ければ信心深さも抱かなさそうなものだ。信心深さのない私からするとこの矛盾は不可解かつ薄気味の悪さを感じることだったが、実はこれもサイコパス傾向がある人間によく見られることのようなのだ。

>>つづく