私が共感力の低さと呪術的思考は相関しているという確信を強めることになったのは、別のサイコパスの本「良心を持たない人たち」の中にある道徳実験の話である。アメリカの心理学者が1960年代に、ハインツのジレンマという話を用いて、子供たちの道徳的成長を記録したらしい。

良心をもたない人たち (草思社文庫)
マーサ スタウト
草思社
2012-10-04


ハインツのジレンマについて簡単に説明すると、このようなものである。
  • ハインツの妻はがんで死にかけていた
  • そのがんを救う唯一の薬を同じ街に住む薬剤師が開発していた
  • その薬剤師は調合にかかった費用の10倍の値段で薬を売っていた
  • ハインツは知り合いに頼んでお金を集めたが、その薬を買う金額を集められなかった
  • ハインツは薬剤師に薬を安くしてくれないか、後払いにしてくれないかと頼んだ
  • しかし薬剤師はこの薬で一儲けするつもりだからと拒んだ
  • ハインツは妻を助けたいから、薬剤師の店に押し入って薬を盗んだ
そしてハインツがしたことは正しいか?という問いを異なる年齢の子供にして反応の違いを調べたのだ。

すると7〜10歳くらいの子供の典型的回答は「ハインツはそんなことをすべきではありませんでした。しかられるからです」だったという。これはこの年頃の子供は、まだ登場人物の関係が理解できず、親からのしつけに習い「盗みは怒られるような悪いこと」という理解にとどまっているからだろう。ただしこれは1960年代の子供の話で、現在の子供はこの年頃でももっと多様な答えをだすように思える。

いずれにせよ、人は成長するに従って、この話について道徳的考察が入るようになる。登場人物の相関関係を理解し、薬剤師は人助けより私腹を肥そうとしていること、ハインツは愛する妻を助けたい一心で盗みを働いたこと、それらを考慮してハインツが正しかったかどうかを判断する。

ハインツに同情しこの罪は許されるべきだと思うかもしれないし、やはり社会秩序のために盗みはよくない、薬剤師を法的に訴えることもできたのではないかなど、人によって意見が分かれるようになる。だがどんな答えを出すにしても、大人ならほとんどはハインツが全面的に悪いとは考えないだろうし、まして「しかられるから」いけないことだとは答えないだろう。

単に怒られるから盗みはだめだという段階から、道徳的考察ができるようになるための重要な要素は共感力であろう。人は成長するごとに家庭外の環境から刺激を受けるようになる。社会での他者との関わり合いから共感を通じて道徳を身につける。

この実験で7〜10歳の子供は、盗みを働いてはいけないのは罰を受けるからという理解にとどまっており、盗みと受けるべき罰について論理的な回答はできない。論理的な回答をしようとするなら間に道徳的考察が入るはずだ。

この論理的な関連性を見出さずに原因と結果をひもづける思考は、呪術的思考と似たようなものである。ルールや儀式に従わないと罰を受けると信じることは呪術的思考によくあることだ。また幼児に「なぜ人のものを盗んだらいけないの?」と聞かれたとき、「神様が罰を与え良くないことが起きるからだよ」のように幼児の呪術的思考を利用してしつけを行うこともよくあるだろう。

成長とともに呪術的思考が薄れてもほとんどの人は盗みを働かない。それは罰を受けるからではなく道徳心からだ。つまり呪術的思考は道徳的思考に上書きされる形で薄れていくものではないか。逆に共感力が低いと道徳心が身につきにくく呪術的思考が上書きされにくいのではないか。

またこれまで述べてきたように共感力の低さ(サイコパス傾向)が遺伝的なものなら、大人になってから呪術的思考を引きずるのも遺伝的なものとなるだろう。そしてサイコパスが呪術的思考による信心深さを持つことも不思議ではなくなる。

私の父親は周囲の人々が子供の人生を含めて人生設計しているにもかかわらずそうせず、無年金、持ち家なしで老後を迎え税金も滞納していた。にもかかわらず、几帳面に部屋の整理整頓、神棚の手入れをし先祖の墓参りに欠かさず行く。この矛盾行動の原因は、父親の共感力が極めて低く周囲の人間と同じように道徳心を身に着けられず、呪術的思考が強く残ったからだ。

また部屋は放って置くと自然と散らかり汚れていくものだ。ADD、サイコパス傾向があると脳の覚醒レベルが低くなりがちなので、不快な感情を燃料に覚醒レベルを上げる傾向がある。何もしないと汚れていく部屋は日常的に燃料を得られる格好の材料なのだ。

だから父親は道徳心が低くとも掃除や整理整頓を几帳面にやるし、むしろ道徳よりも優先する。また整理整頓はしきたりや儀式行為ともひもづきやすい。だから道徳心が低いにも関わらず神棚の供え物や墓参りも欠かさずに行う。

平気でうそをつく人たちの著者が言う子供時代に親から正しい扱いを受けないと呪術的思考が残るという見解よりも、こう考える方が私は腑に落ちるのだ。

>>つづく