これまでサイコパスの共感力や道徳心の低さについて書いてきたが、サイコパス傾向のある人間に全く道徳心がなく、人並みの共感力がある人の方が絶対的に道徳的かというとそうとは限らないと思う。人の道徳心は個人の経験や持って生まれた遺伝的要因など複雑な要素がからみあって構成されている。

共感力は道徳心の基盤となる大きな要素ではある。しかし、共感によって誤った認識が集団感染することもあるし、正義の名目で残酷な行動に駆り立てられることもある。サイコパスでない普通の人々でも不道徳な行為に染まることはある。それも共感によって。

逆に共感力の低い方が、こういった周囲の空気の影響を受けにくく、冷静に物事を見ることができ、客観的に事実を見極めることができることもあるだろう。そして共感力が低くとも道徳的であることもできると思うのだ。私の経験からそのことについて書きたい。

宗教を嫌悪する私であったが、たまに目にする仏教の話には腑に落ちるものもあった。ある時、私は「仏教は宗教分類上、無神論に分類されることもある」という文章を目にした。それをきっかけに興味をもち仏教の本をいろいろ読むようになったのだ。

私は仏教について全く無知だったので、まずは基本的なことから学ぼうと「仏教入門」と名のついた本から読み始めた。まず印象的だったのは、本来の仏教とは関係がないものとして、お墓、葬式、仏壇、先祖崇拝といったものが挙げられていたことだ。

それらの絵にことごとくバツ印がふってあったことに思わず笑ってしまったのだが、仏教を神頼みで念仏をとなえる宗教程度にしか思っていなかった私は、本を読み進めるにつれ考えを改めるのだった。

御釈迦様=ブッダがインド人くらいの知識はあったが、その生い立ちについて全く知らなかった。ブッダは王族の生まれで不自由なく暮らしてきた(あくまで当時としてはだろうが)。しかし、外の世界で貧困、差別、病、死といったものを目にして以来、死の恐怖に取り憑かれたらしい。そして、その恐怖を克服するために出家し修行を始めたという。

ブッダは死に至るような苦行も行ったが、悟りを得ることはできなかった。そしてある時、苦行と断食をやめ、少女の差し出したミルク粥を食べ、菩提樹という木の下で瞑想をして悟りを開いたという。ブッダの悟りから生まれた仏教において重要なことは無常と無我の世界観だろう。

無常(諸行無常)とは、人も世の中も移り変わっていく。変わらないものは何もないという世界観である。自分という存在も年や経験を経て変わっていくし、他人や社会環境と相対するおぼろな存在でしかない。また人間だけでなくあらゆるものは他のものとの相対関係によって成り立っている。植物は土と水がなければ存在し得ない。土と水も単独では存在していない。独立して存在するものは何もない。これが無我(諸法無我)の世界観である。

色即是空も私が好きな仏教用語だ。大まかに言うと、色とは認識のことで、空とは実際には存在しないといったことである。即是とは同じ、イコールという意味である。つまり人は認識のためにあらゆるものにラベル付けし色づけするが、それらは独立した存在しているわけではない。すなわち空であると言う世界観だ。

これら仏教の概念は私の心に深く染み入った。仏教で語られていることは、これまで私が脳科学、遺伝子、心理学の本を読んで身につけた考えに近いものだったからだ。

>>つづく