2017年06月

面等向かって話をすると感情的になるので、私は父親に手紙を書いた。以下のような内容だ。

  • 父親はフルタイムで働くのはあと数年だけでいい

  • それである程度のまとまった貯蓄はできる

  • 今、人並み以上の収入を稼げているなら、フルタイムの仕事をやめてもバイトがてらの仕事はあるはず

  • バイトがてら10万ほど稼ぐくらい父親ならできる

  • 月5万の年金と合わせれば15万。それで当面貯金を崩さずに生活できる

  • さらに高齢になりいよいよ働けなくなったら、その時は貯金を崩しながら食べていけばいい

  • 一人で暮らしていくことに不安はあるかもしれないけど、体が悪くなったら蓄えたお金でヘルパーを付けるなり施設に入ることもできる

  • 母親の面倒は自分が責任もって見ていく

  • だから親父は可能な限り働き自活して欲しい



東京で生活している人は、月15万で暮らしていくのは厳しいのではないか?と思うかもしれないが、私が住んでいるような地方都市の郊外には1DKで家賃5万以下の物件はいくらでもある。そして、父親は浪費もせず、むしろ倹約家であるし自活できるはずだ。

そして私は手紙にこうも書いた。65歳で年金も貯金もなく無一文に近い状況から、自分一人分の老後資金を作るなんてことは並の人間ではできない。でも親父ならできる。もし、きちんとやりきれたら息子として親父を誇れる、と。これは父親に発破をかける意味もあったが、実際にそう思っていた。65歳で無年金になるような父親は、定職にもつかず飲んだくれのクズ親くらいだろう。そのような人たちは老後は生活保護確定であり自分の稼ぎで食べていくことは不可能である。

でも私の父親は違う。そんなクズ親ではない。自分の失敗に対してケジメはきちんと取れる。無年金、無年金なんかで老後迎えるような状況になり、息子として情けない思いもしたけど、最期に父親を見送るときには「親父よくがんばったな、立派だったぞ」と思えるはずだ。偏屈な父親とは子供時代あまり話すこともなかったし距離があった。けど最後の最後に家族の危機を二人で力を合わせて乗り切ろうとして絆が深まったような気がする。

少し胸が熱くなるような思いもありながら手紙に封をして、単身赴任先の親父の住所へ送った。今になって思えば、こんな私の思いはいかに的外れなことだったのか・・・

>>つづく

「この前、お母さんと話をしとったんだが、最後に家でも建てようかと思っとるんだ」

え?

「この部屋(母親と暮らしている賃貸マンション)、狭いしそろそろ引っ越さんか」

何を言っている?

お前になぜ引っ越すかどうかを決める権利があるんだ。ここは老後の生活が破綻したから救済するために私が東京から引っ越し一緒に暮らすために借りた部屋だ。もちろん私の名義で借り家賃も私が払っている。いや、そんなことより、家を買う余裕などあるわけがないだろう!

何を勘違いしているのか・・・これは釘をささなければいけない。そして、話があると父親と二人で話す機会を設けることにした。顔を合わせた瞬間、面倒な話をしそうだと不機嫌そうな顔を見せる父親に、私はこのように説明した。


  • 最初に言ったように夫婦2人で老後5000万くらい必要

  • 定年後の夫婦はだいたい月20万以上の年金があり、それが老後生活資金の基盤であること

  • 無年金、低年金なら、貯金する必要がある

  • 父親1人分だけでも2000万以上の蓄えは必要

  • 母親が起こした脳梗塞は再発率が高い病気だし、今度起こしたら介護が必要になるかもしれない

  • 記憶に衰えも見られるし、数年後には認知症を発症し介護が必要になるかもしれない

  • 私も父親も仕事をやめて介護するわけにはいかない

  • 介護が必要になったら施設にいれるつもりだ

  • だから父親は働ける限り働き自分の老後資金は自分で作る必要がある

  • 家なんか買う余裕はない



そういうと父親は頭を抱えだした。そして頭を抱えたままこう言ったのだ。

「もうそういう話はやめてくれ、やめてくれ、やめてくれ・・・わしは頭が痛いんだ!」

5年前の事がフラッシュバックした。無年金と発覚し「これからどうするんだ!」と私が怒鳴ると、ただ頭を抱えていた父親。老後資金にこれくらいかかると言うと「そりゃ電卓を叩いたらそうなるわな」と他人事のように言っていた。その時は、息子の手前、自分の非を認めたくなく悪びれているのだろうと思っていた。しかし、今この期に及んでも同じような反応をしている。まだ問題をきちんと認識していないのだろうか?

「いや、やめてくれじゃなくて、きちんと話し合わなければいけないだろう!」
「そもそも自分たち夫婦できちんと話し合わないからこんなことになったんだろう!」
「なぜ老後の事を、きちんとお母さんと話し合わなかったんだ!」

私がそう言ったら思いもしない返事が返ってきた。「お母さんのことは投げた!」ちゃぶ台をひっくり返すポーズでこう答えたのだ。投げたって・・・それは夫としての役目、父親としての役目を投げたということじゃないか!そんな話ありえないだろう!私は父親に掴みかかってなぐりかかるところだった。

しかし、その時はなんとかこらえた。また一緒に暮らすつもりでいた父親にとって突然の話で混乱しているのだと。また、まだ貯金を作りきれておらず、老後のことが不安なのだろうと。

>>つづく

父親には祖父が残した土地と家があった。ただその土地は父親の生まれ故郷にあり、私が住んでいる街からは遠かった。そしてそこには父親の妹の息子が住んでいた。

父親は老後資金を作るためにも、その土地を売りたがっていた。父親の兄弟は父親以外みな女性で、父親は下から2番めの子供でありならが長男だった。長男とは言えどほとんど末っ子だったし、親元を離れ親の老後の面倒をみていないこともあってか相続の話を切り出しづらかったようだ。

祖父と祖母が亡くなり、もう何十年と経つのに相続の手続きがされないままだった。しかし、老後資金のためにも親父に相続させておくべきだと思い、税や法にうとい父親に代わって私が司法書士に相談し手続きを進めることにした。

そして私は30年ぶりくらいに父親の故郷へ行き土地と家を見に行った。幼い頃の記憶の家は大きく立派な印象だったが、今見てみたら小さい土地にボロ屋が立っているだけだった。しかも今、この家に住んでいる親族の親、つまり父親の妹も「こんな土地、遺産相続で揉めるような土地でもないからねぇ。早く相続手続きしておくべきよ。」と言う始末だった。「なんだこりゃ、楽勝だぞ」と私は思った。

父親はさんざん数千万の高値がつく土地で、兄弟みな戦中戦後に貧しい思いをしたから売るとなるとお金を欲しがるかもしれないと言い続けていた。しかし、いざ来てみたら何のことはなかった。実際、周辺地域の土地の値段をネットで調べたが500万程度だった。父親の妹が言うように揉めることはないだろうと思った。

そして司法書士と相談し、私が父親の名を使って父親の兄弟全員に手紙を書いた。嫁も脳梗塞で倒れたし、私達兄弟もいつどうなるかわらない。自分たちが存命のうちに私が相続する形で手続きを済ませておきたいという内容だ。

すると私の予想通り、あっさりみんな同意の意思を伝える手紙をくれた。父親の兄弟とも長らく疎遠だったが、司法書士を介して状況を知ることもできた。みな持ち家があり、年金で生活しているようだった。子供も結婚して孫がいる人もいるし人並みの親同様に自活していた。父親の兄弟の中にも私の父親と同じような状況の人がいるかもしれないと疑っていたがそんなことはなかった。そして改めてなぜ私の父親だけこうなったのだろう???と疑問に思ったのだ。

私の父親は人並み以上の収入得られるだけの能力もある。自営業で税や会計にうといのなら税理士に任せれば良かった。そうすれば税理士から個人年金など老後資金も含めたアドバイスももらえただろう。そうすれば今、人並み以上の年金があり、持ち家もあり、貯金だって数千万単位であっただろう。なぜ、浪費癖のある母親に任せきりにしてしまったのだろう。

しかし、そんな疑問より問題が解決に向かっている手応えのほうが大きかった。あっさり父親が相続権を得た土地は、調べたとおり売れば500万ほどになるようだった。単身赴任で働いている父親の仕事はその後も順調だった。まともな収入を得られるようになってから私は、父親から母親の生活費名目で月10万をもらうようにしていた。一緒に住み始めた当時、引越し代も全て私が払い、滞納した税金も支払ったりしたからだ。しかし月10万差し引いても父親は貯金ができるくらいの収入があった。

父親はまだ数年は働けそうだと言っている。仕事を請けている会社からもゆくゆくは若手育成のアドバイザー的立場で来て欲しい話もあるという。なら、あと数年フルタイムで働いて貯金を貯めたら、仕事のペースを落としバイトがてらアドバイザーの仕事をすればいい。少しでも働けるなら貯金をあまり崩すさず生活できる。しかも今は月5万の年金もある。平均寿命の85歳くらいまでは十分自活できそうだ。

今、父親から月10万受け取っているが、それを受け取らない代わりに自分の老後の生活費を貯めてもらおう。これで父親一人分の老後資金は父親が自力でなんとかできる。あとは私が頑張って母親の面倒をみていけばいい。母親の脳梗塞の後遺症は軽く済んだが、脳梗塞は再発率が高い病気だ。また母親は物忘れも増えてきたし認知症になる気配もある。どのみちいつかは介護が必要になりそうだ。私も仕事があるし父親も働ける限り働いたほうがいいから、母親に介護が必要になったら施設に入れるしかない。月15万くらいかかるようだが私の収入なら何とかなるだろう。

両親そろって無年金、無貯金の状況から一緒に住み始めて5年。よくあの破滅的な状況からここまで持ち直したものだ。特に父親がここまで頑張れるとは予想外だった。無年金で老後迎え、頭を抱えていた時はこれが自分の父親なのかと情けなかったが、今は父親を誇らしく思えるようになっていた。

ここまで来た!ようやく希望が見えてきたぞ!

と思ったさなか、父親がおかしなことを言い出したのだ・・・

>>つづく

母親は自宅で脳梗塞の症状が起きたため、私が異変に気づき比較的早く病院に搬送することができた。結局3ヶ月で退院し軽い後遺症で済んだが、入院当初はろくに口も聞けなかった。医師にはこのまま後遺症が残る可能性もあると言われ、介護が必要なるかも知れないと思っていた。

少し回復してからも典型的な失語の後遺症の症状があり、言い間違えや言葉が出てこないなど意思の疎通が難しかった。医師のアドバイスに従い入院中は極力話しかけるようにし、仕事の合間を見て1日2回は見舞いに行った。しかし上の空だったり返事が聞き取れないくらいの小声だったりした。

このまま家に帰ってきたら日々のコミュニケーションは大変だし、日常生活の負荷が上がる。仕事も今までどおりできないかもしれない。もしそうなったら収入も減る。ろくに老後資金がない親を抱えているのに・・・

しかし本格的なリハビリを開始してから、母親はみるみるうちに回復していった。短期間でここまで回復するのは珍しいと病院のスタッフにも言われた。3ヶ月くらいで普通に会話ができるまで回復し、麻痺も残らなかった。ただし退院する時に医師から実際に一緒に住んでみないとわからない問題もあると思いますと言われた。

実際一緒に暮らしてみると料理、金銭の管理はできなくなっていた。しかし、私は一人暮らしが長く料理を作るくらいは大きな負担ではなかった。また浪費癖のある母親からお金の管理を完全に自分に移す良い機会になった。後遺症のせいか電車で遠出して一人ででかけることも少なくなり、その分お金を使う機会も減った。結果として私は仕事を減らすことなく母親と二人で暮らす生活に戻っていった。脳梗塞を起こすという寝たきりになってもおかしくないような事だったのに、奇跡的に大事至らずに助かった。

父親も変わらず単身赴任で働き続け貯金を貯めていた。父親は母親が入院している時は見舞いにも来ていた。仲が悪くろくに口を聞かず老後の相談もせず無年金で迎える事になったけど、やはり夫婦だから心配もするし老後資金を貯めるために今も働いている。偏屈で頑固で不器用だけど責任感はあるように見えていた。

>>つづく

しかし、父親は過去の実績を評価する人から単身赴任で仕事に来てほしいと声がかかった。父親は仕事は優秀で働く意欲はあり、本人も乗り気で家を出て働くことを選んだ。私が一緒に住みはじめて3年目の事だった。そして父親は以前と同じくらい稼げるようになった。

またその頃に国民年金の後納制度ができた。これは過去に時効となってしまった払い漏れ分を、後から支払える制度である。親切にも年金事務所の方から電話がかかってきて、父親は時効になった1年数ヶ月分を一括で払えば、年金受給資格が得られるとのことだった。

父親にその事と今すぐ支払って早めに年金をもらえるようににしたほうが得だと伝えた。この頃には父親はある程度の貯金もできていたので自分で一括で支払った。そして、父親は年金がもらえるようになった。その金額は月5万ほどだった。受給資格の25年ギリギリなので、5万もないだろうと思っていたが、過去に厚生年金に加入して会社勤めの経験があったのだ。それにより年金額が思っていたより多かった。とはいえ、普通は夫婦で月20万以上の年金があるわけで、無いよりマシなレベルだが・・・

思ったより早く年金がもらえたことも良かったが、それより父親がまたまともな稼ぎを得られるようになったことの方が私には希望だった。会社員の平均収入以上で、正直、68歳にもなる父親がここまで稼げることに驚きだった。息子として誇らしい気持ちにもなった。

私は東京から地元へ帰る決意をする時に、一部の親しい友人に状況を話した時にこう言われたこともあった。「無年金、無貯金なんかで老後迎える父親なんか、まともな親じゃない。生活保護を受けさせるべきだ。もし一緒に住んでも、君の人生に寄生して生きながらえようとするだけだ」と。私は内心腹が立った。私の父親は飲んだくれのクズ親じゃない。真面目に働いて自分たち子供をきちんと育ててくれた。そんな育ての親を簡単に見捨てられるわけ無いだろう!と。

そしてこうやって今、68歳にもなりながら、きちんと働いて人並み以上の収入を得ている。無年金と発覚して最初の話し合いでは頭を抱え、他人事のように悪びれたりもしていたが、きちんと責任は感じ、こうやって単身働きに出ている。きちんと自分のケツは自分で拭く親父だ。見たことか!俺の親父はクズ親じゃない!そう思った。今になって思えば、なんと間抜けだったかと思うことだが。

父親は母親と違い浪費はしないのできちんと貯金していたし、人脈がない地元に戻ってからの私の仕事も安定し始めた。これなら・・・この調子なら・・・両親は将来生活保護を受けることなく老後送れるかもしれない!希望が出てきた。

しかし、その1年後、両親と一緒に住み始めて4年目のこと。母親が脳梗塞を起こして入院することになった。恐れていたことがとうとう起きてしまったと思った。老後資金の準備ができる前に、両親のうちどちらかが介護が必要になるかもしれないということが・・・

>>つづく

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