2017年08月

母親を施設にあずけようとして問題になるのが、戸籍上「夫」である父親のことである。施設にあずける事以外にも子供である私の一存では決められないことがある。だから、その度に父親と話し合い納得させ、必要な書類に判を押してもらうといった事が必要になる。

しかし、もうそんなことはやっていられない。父親の本性を知った以上、顔を見るだけでゾッとするし、これまでも私の言うことをいちいち疑ったり反論したりスムーズに物事が進まなかった。土地の相続手続きの時もそうだった。

母親が脳梗塞を起こしたときも、仕事と並行して入院生活、退院後の手続き、準備などに追われ、それなりに大変だった。実際、仕事がおろそかになりトラブルになりかけたこともあった。私の状況を案じた上で取引先に助けてもらったが、また迷惑をかけたくはない。

次に何か起きた時、すぐに動けるようにしておきたい。そのためには父親の相談、許可といった時間の無駄でしかない事を排除しておきたかった。だから法的に夫婦関係を解除させ、私に母親の今後のことを決定できる全ての権限が欲しかったのだ。そもそも夫としての役割を放棄した父親に権限があることがおかしいのだが。

また、このまま夫婦関係を続け、父親に仕事がなくなり家に戻ってきた時も問題である。法的に夫婦である以上、私が母親の面倒だけを見て父親だけ別で暮らしてもらうことは難しい。父親がゴネて私と母親と一緒に暮らしたがったら、法的にはそれを拒むことはできない。

子供である私は父親、母親と別居することはできる。しかし、父親が一人で母親の面倒を見れるわけがない。貯金ができたとは言え、それは自分一人分にしかならない。介護が必要になったら破綻する。その時、短気で無計画な父親は何をするかわからない。もし母親の首を絞めるようなことでもおきれば、私の人生にヒビが入りかねない。

それに母親は心情的に切りづらかった。私が母親の面倒を見続け、父親には別で暮らすことを、法的に正当化するためにも離婚させたかった。それにそうしたところで父親を見捨てていることにはならないはずだ。今や父親は自力で自分の老後資金を稼げるだけの見込みは十分あるからだ。私の助けによってだが。

つづく

いままで育ての親だからということで父親の老後の生活の立て直しに協力してきた。しかし父親の本性を理解し、もう親子として付き合っていくことはできないと判断した。そして、母親と離婚させることを決意した。「お母さんのことは投げた」と平然と言い放っていたが、そうやって自分で嫁の面倒を見ていく意思を放棄した時点で、本来離婚しておくべきなのだ。法的にも夫婦の定義とは相互に扶養し合う義務を追うべきもので、それができないなら夫婦関係は解除するのが法的にも正しい。

私が社会人になった時に、夫婦としてもうやっていくことはできない、悪いがお母さんのことはよろしく頼む。そう言って最低自分の老後資金は自分でなんとかしてくれた方が、ずっと状況はマシだっただろう。65歳時点で夫婦そろって無年金、無貯金で老後迎えるよりも。

戸籍上だけ夫婦としての形を取り続け、年金、貯金のことは全く考えずに、育てた恩を盾に子供の人生はお構いなしに、老後の面倒を見てもらえばいいと考える。そんな人間は夫としても父親としても失格であり、離婚するのは当たり前だ。

しかし、そんな感情的なことより深刻な問題があった。脳梗塞を起こした母親のことである。今は軽度の後遺症(介護保険上も要支援2)で、私が仕事しながら面倒を見れている。しかし、もし脳梗塞を再発し介護が必要になったら?そうでなくともいずれ認知症になりそうな気配もある。

いくら家で働ける仕事をしているからといえ、介護しながら仕事を続けていくのはさすがに厳しい。妹たちも遠方に住んでおり自分たちの生活がある。私一人で面倒をみていくのは無理だから、施設にあずけた時に施設代の支払い含めて自分の人生もやっていけるだけの収入を得る方が現実的だ。

これも私に人並み以上の収入があるから可能な選択肢で、普通は無年金の人間の施設代月15万を自腹で払って、自分の人生をやっていくのは厳しいだろう。普通なら生活保護に頼るしか無いと思う。

つづく

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