私が生活を立て直すために地元に戻り母親の面倒を見つつ、父親は単身赴任で働くこと5年。父親には貯金ができたが、家を買いたいと言い出した。私がそのお金は老後自活する資金にして欲しいと言うと、「そんな話はやめてくれ。頭が痛い」と言った。そうやって問題から逃げたからこうなったんだろう。なぜきちんと話し合わなかったんだと言うと「お母さんのことは投げた」とちゃぶ台を投げるポーズで言い放った。それは父親としての責任を投げたということじゃないか!とその時、私は腹が立ったのだが、そもそも投げると判断したのなら離婚すれば良かったのだ。父親が50歳くらいの頃には、もう夫婦仲は悪く投げた状態だったはずだ。

私含め子供も自立できる年齢になっていたし離婚にそれほど障害はなかったはずだ。そして自分の稼ぎは完全に自分のものとしてしまえば、父親の稼ぎなら日々悠々と暮らせただろうし、母親と違い倹約家の父親なら貯金も十分作れたはずだ。浪費家の母親と夫婦のまま居続けることは、老後破綻のリスクがあることも十分理解していたはずだ。にもかかわらず夫婦関係を続け、年金や貯金がいくらあるかを母親に確認もせず、「そろそろ後のことはよろしく頼む」と自分の面倒も含めて私に言ってくる始末だった。

そうではなくもっと前に「母親のことは頼んだ。俺は自分のことは自分でやっていくから」そう言って離婚すれば良かったのだ。もともと子供の人生など考えていないなら、私の負担など考えずに丸投げして自分は好きにすれば良かったのだ。父親はメンツを気にする人間なので、離婚して親族や周囲の人間の前でメンツがつぶれることを気にしたのだろうが、それにしても自分の老後生活が破綻するかもしれないリスクがあるなら、メンツよりも保身のために離婚しそうなものである。

この事はずっと疑問だったのだが、私が母親を引き取る形で父親と離婚させ半絶縁状態になってしばらくした時、たまたま目についた本があった。「平気でうそをつく人たち」という本である。
アメリカ人のこの本の著者は、精神科医として長年さまざまな人を診察する中で「邪悪としか言いようがない人たち」と出会ったと言う。そして、その邪悪な人たちを紹介、分析する内容になっている。著者は、こういった邪悪な人たちの子供はその邪悪性の犠牲者になりやすいと言う。そして次のような親が紹介されていた。