平気でうそをつく人たちから引用する最初の話は、 盗んだ車で事故を起こし、著者が診察することになった15歳の少年の話である。この少年は仲の良かった兄が拳銃自殺をしたことをきっかけに、うつ状態になっていったらしい。少年は著者の質問に上の空で答える様子だったが、その中で父親がクリスマスプレゼントとして兄が自殺した拳銃を彼に渡していたことがわかる。

そして、著者は両親と面談する。拳銃は少年が欲しがったから渡したのですかと聞くと、父親は「あいつが何を欲しがっているかわかるわけがない。あの年頃の子供は拳銃を欲しがるものだし、良いプレゼントだと思った」と言うのだ。

兄が自殺に使った拳銃を渡したら、子供がどのような気持ちになるか考えなかったのですかと言及すると、母親は「こんなに深刻な問題だとは思わなかった」と言う。さらに父親は「うちには新しい銃を買う余裕なんて無い。だからありあわせのものを渡しただけだ。なぜ、そのことで責められなければならないのか」と全くピントのずれた反論をする。

兄が自殺した銃を渡すことは、弟の彼に同じように自殺しろと思わせるようなことだと著者が言うと、父親は「そんなことは一言も言っていない」「俺達はあんたたちみたいに教育を受けた人間じゃない。大学に入ってかっこいいものの考え方を習ったわけじゃない。そういうふうに考えろと言われても無理だ」と喧嘩腰に反論し、子供の治療について考えるよりも自己弁護に必死になるのだった。

著者はこの両親の元に置いておいたら、本当に少年は自殺してしまいかねないと感じた。そして少年が母親の妹には良い印象を持っていることを感じたので、その妹夫婦に預けることをこの両親に提案した。しかし、彼らは拒否する。身内の問題を家族以外の人間に話してほしくない、あなたは裁判官のように偉そうなことを言うと。

しかし、著者はひるまず、もし妹夫婦と連絡を取ることを許可しないなら、法的な手続きを取る必要がある。その時は本物の裁判官を相手にすることになりますよと言うと、母親は急に態度を変え「旦那は先生のような教育を受けた人間と話したことがなく、このような態度でごめんなさい」とあやまり、息子のことでできることなら何でもしますと、あっさり同意書にサインしたのだった。母親の妹夫婦は少年の病状をとても心配し、彼を預かることを快く受け入れた。その後、少年の症状は快方に向かったらしい。本書の話の中でまだ救いのあるケースである。 

この話を読んだ時、私の父親とこの父親は似ていると思った。無年金と発覚した時、老後はこれくらいの金額がかかる、どうするつもりなのかと私が言うと、「そりゃ電卓をはじいたらそうなる」「俺は日々働き詰めでそんなことを考えている暇はなかったんだ」「俺はカタワの技術者だから経理のことは苦手なんだ」と言い、まったく問題に向き合わず自己弁護に必死だった。カタワなどという今どき誰も使わないような差別用語を口にすることも異様なものを感じるが・・・

とはいえ、私の父親でも子供が自殺に使った拳銃を、もう一人の子供にプレゼントするようなことは、さすがにしないように思えた。この父親が自分で言うように、きちんとした教育を受けておらず、社会的地位が低いから常識的な感覚が欠落しているのではないかと思ったのだ。

しかし著者は読者がそう思うであろうことを、あらかじめ見通したかのようにこう書いていた。このような人間は、自分たちの身近にいる人間とは違った種類の人間だと思うかもしれない。しかし、精神科医ならほぼ毎月のようにこのような人間に出会う。いずれにせよ、クリスマス・プレゼントに自殺用の拳銃を子供に渡す親は多くはないだろうと。

そして「よりとらえどころのないケース」として、今度は社会的ステータスが高い邪悪な親を紹介しているのである。