カテゴリ: 無年金で老後迎えた親の本性

両親が離婚して以来、父親とは顔を合わせていない。同居の母親は父親とたまに会っている。最初は私の家に来て母親と会っていたが、私が常に外に出て顔を合わせないようにしていることで、しばらくすると家に来ることはなくなり母親とは外で会うようになった。

母親はその後、脳梗塞を再発することはなく、まだ介護は必要ない。しかし、物忘れが増えてきており、集中力や判断力の衰えも見られる。お金の場所を忘れて私が隠したと疑うなど、典型的な認知症の症状も出てきている。

最近MRI検査を受けたところ、年齢よりやや脳萎縮が進んでいると診断を受けた。やはり数年後には介護が必要になり、仕事と母親の面倒の両立は難しくなりそうである。その時は施設に預けることになるが、施設代などは私の収入でなんとかなりそうだ。また最近、年金受給資格の支払期間が25年から10年に短縮され、母親も年金受給者となった。月3万程度であるがないよりはマシである。

父親の帳簿、確定申告の処理は今も私がしているため父親の収入を把握しているが、今も人並み以上の稼ぎがある。当面、仕事は続けられそうだし死ぬまでの老後費用は貯められそうである。だから放っておいても問題ない。

最後に。この連載を書いた1つの理由は、私自身、同様の状況にある人たちの話をインターネットや本で読み、自分の親がまともでないと気づくことができたからです。もし、これを読んでいるあなたが無年金で老後を迎えた親を抱え悩んでいるのならば、よほどの経済的事情がない限り、ろくに子供の人生を考えてこなかった結果そうなったのであり、あなたに責任はないはずだと思います。そして自分の人生を潰すことない選択をしていただければと思います。あなたにはあなたの人生があります。

こちらの連載では父親の人間性についてより深く考察しています。
>>サイコパス分析

なぜ遠方に暮らし付き合いもほとんどない親族(父親の兄弟を指しているのだろうが)と話し合いが必要だというのか。最初は意図がわからなかったが、しばらく考えて理解できた。

手紙を読んで父親なりに少しは否があると思ったのだろう。そして、ようやく自活するつもりになった。しかし、離婚を迫られていることについては、理不尽な扱いを受けているような疑いがあるのかもしれない。だから、親族の判断も仰ぎたいと考えているのかもしれない。

私は親族と付き合いはないが、父親はたまに会っているようで、メンツのためにも離婚したことを親族にバレたくないという気持ちもあるのだろう。もしくは親族の話を持ち出せば、私も離婚を強く迫れないのではないかと考えているのかもしれない。離婚してしまうと完全に縁を切られそうだから、老後のためにも最後の糸は切らずにおきたいと考えているのだろう。

いずれにせよ、自分の保身やメンツを気にしている事は間違いなさそうだ。そう理解して、ほとほと私は父親に愛想が尽き、もうこんな人間は父親として扱う必要はないと思った。そして、これはビジネスの交渉と同じだと思うことにし、利害損得による心理誘導を盛り込んでもう一度手紙を書いた。この内容なら今度こそ離婚届に判を押すだろうと。

「親族(父親の兄弟たち)もみな年金で自活していると言ったでしょう。もし離婚の話し合いに親族も加えるなら、ろくに年金も貯金もなく老後を迎えたことも伝わりますよ。そしたら恥をかくことになるでしょう。」

「万が一、母親が脳梗塞を再発して寝たきりになったら、もう離婚はできません。弁護士にも確認を取ったけど、夫婦双方の意思表明できないと原則離婚はできないそうです。法的に夫婦のままであると、夫であるあなたがかかる費用を支払っていく義務があります。」

「もし母親の介護費用などを払い続け、今まで貯めた資金が尽きたら、生活保護を受けるしか無い。生活保護を申請したら、兄弟に援助できないかの確認通知がいきます。そうしたら、やはり恥をかくことになりますよ。」

これらは誇張ではなく実際に弁護士や役所の人に確認を取った話である。70代、80代でも兄弟に通知が行くかはわからないが・・・

「恥をかきたくなかったら、自分のメンツを守りたかったら、判を押した方が良いのではないですか」

そう書いて、離婚届と返信用の封筒を添えて手紙を送った。そして、1週間ほどして返信用の封筒が届いた。そこには判を押した離婚届が入っていたのである!

父親として子供の人生を考えて自活するのが当然だし、老後の生活費全部みてもらうと考えるのは親としておかしい。子供には子供の人生がある。そういう前回の手紙の内容では判を押さなかったのに、自分のメンツが潰れることをあおったら判を押したのである。

ただ離婚届に判を押して送ってきただけで、なんの言葉も添えられていなかった。離婚届けを提出した後も母親は父親とたまに会っているが、「あいつも俺のことを考えてくれている」と言っていたと母親から聞いた。

それを聞いて、改めて父親が自分の保身しか考えていない事を再確認した。これが無年金で老後を迎え、後の生活の面倒を全て子供に見てもらえば良いと考える親の心理なのだと。育てた恩があるのだから自分のために役に立てば良い程度にしか思っておらず、子供の人生のことなど何も考えていないのである。

しかし、やった、ついに終わったと私はようやく安堵した。これでようやく自分の人生をまともに考えることができると。無年金、無貯金で老後を迎えた親の問題を、曲がりなりにもなんとか解決できたのだ・・・

後日譚へ

面と向かってだと感情的になって話し合いにならないのでまた手紙を書くことにした。父親に手紙を書くのは二度目であるが、今回はより強く自活を促す内容にし、母親との離婚を迫るものである。

最初から老後自活するつもりはなく、子供の人生を考えず、育ての恩を盾に老後の生活を全面的に見てもらえばいいと考えていたこと。世間の人たちは、みな老後年金で可能な限り自活し、子供に老後の面倒を見てもらうのは、夫婦どちらかが亡くなり独り身になるか、病気や老いで体の自由が効かなくなったときの話だということ。

世間の人たちは、子供の人生と老後の自活を考えたから、きちんと年金もあり持ち家もあるのだということ。無年金、持ち家なしで老後迎えた事、その後の言動を含めて本性を知り、もう親子として関係を続けていくことは無理だということ。

そして母親は今後介護が必要になるかもしれないこと。婚姻関係にある以上、母親が介護状態になったら、夫である父親がその面倒を見る責任が「法的」にもあるということ。もし自分で介護費用などを払っていたら、貯めたお金を使い切ることになり老後自活していくことはできないだろうこと。

だから、年金がない母親の面倒は私が見ていく代わりに、自分の老後の費用は責任を持って自分で貯めるべきだということ。私は出来る限りのことはした。母親の老後の面倒を見ること自体、責任を放棄した父親に変わって息子の私が引き取るような話で、私には私の人生があるし、父親には金銭援助をするつもりはないということ。

そういった内容を手紙に書いて父親に送りつけた。すると携帯のメールで返事が返ってきた。このような内容である。

「実はゆくゆく一人で暮らす場所を考えなければならないと思っていました。私が単身赴任で働き始めたのは、嫁が歳のせいで食事の支度をするのがしんどいと言い始め、家を出るべきだと思ったからです。」

私は呆れ果てた。最初に自分で老後資金を貯めて自活するように促した時、パソコンの仕事ばかりしているから人の気持ちがわからないんだなどと、私のことを親不孝者のように罵っておいてよくもこんな嘘を平然と言えるものだと。百歩譲って本当に少しでも自活する気持ちがあったとしても、こんな話はありえない。自分で嫁の面倒を見るつもりはなく息子に任せて、一人で暮らすつもりだったという話だ。

さらに、こう書いていた。「しかし、離婚は簡単にはできません。家族、親族との話し合いが必要です。」何を言っているのか。自分で嫁の面倒を見る気がなく一人で暮らすと言うのに、離婚もしないと言うのだ・・・今度という今度こそ迷惑をかけてすまなかったと言い、自活することを認めた上で、これ以上迷惑をかける訳にはいかないと離婚すると思っていたのだが。

こんな気の狂った父親はなんとしても離婚させて縁を切らないと、私の人生もまともに考えられない。どうやったら離婚させられるのか。そう思い父親からのメールを読み返していると、ある点に気がついた。家族や「親族」との話し合いが必要だと書いていることである。なぜ家族だけでなく、遠方に暮らしほとんど交流のない親族の話を持ち出しているのだろうか。

つづく

母親を施設にあずけようとして問題になるのが、戸籍上「夫」である父親のことである。施設にあずける事以外にも子供である私の一存では決められないことがある。だから、その度に父親と話し合い納得させ、必要な書類に判を押してもらうといった事が必要になる。

しかし、もうそんなことはやっていられない。父親の本性を知った以上、顔を見るだけでゾッとするし、これまでも私の言うことをいちいち疑ったり反論したりスムーズに物事が進まなかった。土地の相続手続きの時もそうだった。

母親が脳梗塞を起こしたときも、仕事と並行して入院生活、退院後の手続き、準備などに追われ、それなりに大変だった。実際、仕事がおろそかになりトラブルになりかけたこともあった。私の状況を案じた上で取引先に助けてもらったが、また迷惑をかけたくはない。

次に何か起きた時、すぐに動けるようにしておきたい。そのためには父親の相談、許可といった時間の無駄でしかない事を排除しておきたかった。だから法的に夫婦関係を解除させ、私に母親の今後のことを決定できる全ての権限が欲しかったのだ。そもそも夫としての役割を放棄した父親に権限があることがおかしいのだが。

また、このまま夫婦関係を続け、父親に仕事がなくなり家に戻ってきた時も問題である。法的に夫婦である以上、私が母親の面倒だけを見て父親だけ別で暮らしてもらうことは難しい。父親がゴネて私と母親と一緒に暮らしたがったら、法的にはそれを拒むことはできない。

子供である私は父親、母親と別居することはできる。しかし、父親が一人で母親の面倒を見れるわけがない。貯金ができたとは言え、それは自分一人分にしかならない。介護が必要になったら破綻する。その時、短気で無計画な父親は何をするかわからない。もし母親の首を絞めるようなことでもおきれば、私の人生にヒビが入りかねない。

それに母親は心情的に切りづらかった。私が母親の面倒を見続け、父親には別で暮らすことを、法的に正当化するためにも離婚させたかった。それにそうしたところで父親を見捨てていることにはならないはずだ。今や父親は自力で自分の老後資金を稼げるだけの見込みは十分あるからだ。私の助けによってだが。

つづく

いままで育ての親だからということで父親の老後の生活の立て直しに協力してきた。しかし父親の本性を理解し、もう親子として付き合っていくことはできないと判断した。そして、母親と離婚させることを決意した。「お母さんのことは投げた」と平然と言い放っていたが、そうやって自分で嫁の面倒を見ていく意思を放棄した時点で、本来離婚しておくべきなのだ。法的にも夫婦の定義とは相互に扶養し合う義務を追うべきもので、それができないなら夫婦関係は解除するのが法的にも正しい。

私が社会人になった時に、夫婦としてもうやっていくことはできない、悪いがお母さんのことはよろしく頼む。そう言って最低自分の老後資金は自分でなんとかしてくれた方が、ずっと状況はマシだっただろう。65歳時点で夫婦そろって無年金、無貯金で老後迎えるよりも。

戸籍上だけ夫婦としての形を取り続け、年金、貯金のことは全く考えずに、育てた恩を盾に子供の人生はお構いなしに、老後の面倒を見てもらえばいいと考える。そんな人間は夫としても父親としても失格であり、離婚するのは当たり前だ。

しかし、そんな感情的なことより深刻な問題があった。脳梗塞を起こした母親のことである。今は軽度の後遺症(介護保険上も要支援2)で、私が仕事しながら面倒を見れている。しかし、もし脳梗塞を再発し介護が必要になったら?そうでなくともいずれ認知症になりそうな気配もある。

いくら家で働ける仕事をしているからといえ、介護しながら仕事を続けていくのはさすがに厳しい。妹たちも遠方に住んでおり自分たちの生活がある。私一人で面倒をみていくのは無理だから、施設にあずけた時に施設代の支払い含めて自分の人生もやっていけるだけの収入を得る方が現実的だ。

これも私に人並み以上の収入があるから可能な選択肢で、普通は無年金の人間の施設代月15万を自腹で払って、自分の人生をやっていくのは厳しいだろう。普通なら生活保護に頼るしか無いと思う。

つづく

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